韓国映画が好きなんです。

「殺人の追憶」の感想

※この記事はネタバレありです。

「あらすじと感想」でも書いたとおり、「殺人の追憶」という映画は私に
韓国映画の面白さ、魅力に気づかせてくれた作品です。

ただ、振り返ってみて「どこがどう良かったのか?」というのが
うまく言葉で表現できないんですよ、ほんとに。

ソン・ガンホがかっこいいわけでもないし(一応これでもガンホペンですが)
テーマは暗いし、結末も犯人は分からず捕まらずすっきりしない。

以前の自分だったら、確実に「二度と見ない」リストに入るはずなんです。

でも、観終わってから余韻がすごく残っていて、
「もう一度観てみたい、少し時間がたったら必ずもう一度見るだろうな」と、
自然と思ったんですね。

容疑者に暴力を使ってでも自白させようとする強引な刑事だったソン・ガンホと
あくまで物証をもとに捜査をする刑事だったキム・サンギョンが、
なかなか犯人を捕まえられない、それどころか犯人像すら見えてこない、という中で
だんだんと2人のスタンスが入れ替わってきて
パク・ヘイルに暴力をふるって自白させようとするキム・サンギョンと
それを止めるソン・ガンホ、となっていく。

そして、その過程の中に、ソン・ガンホの相方であるキム・レハが、
自身が拷問をしたパク・ノシクに釘のついた木の棒で足をなぐられ、
その釘が刺さったことが原因で足を切断せざるを得なくなり、

「学校のトイレから男の人が出てくる」という噂話をした女子高生に
キム・サンギョンが話を聞きに行って、背中に絆創膏を貼ってあげた後、
その女子高生が殺されてしまう、という出来事が起きてしまう。

その過程があるからこそ、2人のスタンスが変わっていくのがとても自然に感じられます。

パク・ノシクの足を切断しないと命が助からないと医者に聞かされた時のソン・ガンホの顔。
女子高生の死体の背中に絆創膏が貼ってあることに気づいた時のキム・サンギョンの様子。

そこがひとつのターニングポイントだったのかもしれない、
そんなことに気づくと、改めて脚本の力のすごさを感じるわけです。

ひっそりと、でも確実に見ている人には感じられるように、
いろんな伏線やら何やらがはりめぐらされているんですね・・・

結局この映画は、犯人探しがテーマではないので、
犯人が誰か?ということは(映画的には)重要ではなく、

それよりも、人が自分の力が及ばないことに直面した時に現れる絶望的な狂気と、
「ごく普通に生活している人の中に、ごく普通の顔をして、犯人も生きているんだよ」
という点に、背筋がゾクッとするような静かな怖さを感じるのだと思います。

ラストのソン・ガンホのあのなんとも言えない表情は、
自分の中では時の流れとともに過去の出来事となっていた事件が
急に「今」の出来事となって迫ってきた恐怖、呆然とした感じ、
そして怒りや(犯人を捕まえられなかった)無念さ、今更どうすることもできないという虚無感、
そんなものが全て入り混じったような表情に見えました。

まだ1回しか観ていないのですが、おそらく2回目を観た後にはまた新たな発見があるだろうな、
と思うと、とてもワクワクします。

ただ、今は他にもたくさん観たい映画があるので、2回目はまだ先のことになりそうですが・・・

ちなみに、「殺人の追憶」のDVDを買って観た友人によると、
脚本を書いたシム・ソンボ氏も映画の中に登場しているそうです。
特典映像の中で話していたとのこと。

1回目では全く気が付かなかったので、2回目は注目してみようと思います(笑)

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