あらすじ
元担任の先生に連れられて、高校生のハンゴンジュ(チョン・ウヒ)は、新しい学校へ転校する。
住むところは先生の母親が住む家。
嫌がる母親におしつけるようにして、先生はハンゴンジュを母親の家に住まわせる。
転校先の学校では誰とも親しくなろうとしない。
ただ、水泳を習い始める。
コンジュはある日学校で、数人の女子生徒がアカペラをしているところを見る。
そのうちの1人の生徒がコンジュに話しかけ、最初はつっぱねていたコンジュも次第に打ち解けてくる。
常に怯えた表情をしていたコンジュにほんの少し笑顔が戻ってきた時、授業中のコンジュの元へ、元住んでいた町から数人の大人が押しかけてくる。
極力ネタバレなしのレビュー
この映画を観ている間中ずっと、お腹の中に固い鉛があるような感覚でした。
冒頭のハンゴンジュのセリフ「私は何も悪いことをしていない」
そう、コンジュは何も悪いことをしていない。
落ち度がないのに被害を受けた、むしろ保護されるべき人物であるはず。
だけど、周りには誰一人コンジュに寄り添おうとする者がいない。
親ですら、娘のことに無関心で自分の都合を優先する。
唯一、一緒に住むことになった先生の母親が、授業中に押しかけてきた大人たちを「どの面さげて顔を出せたものか」(意訳)
と言ったところだけは、やっと人間らしい言葉を聞けたとホッとしたものです。
だからといって、先生の母親がコンジュに寄り添うわけではなく、出て行くコンジュをそのまま見送るだけ。
その後電話をかけてきた先生(元の担任)も、今どこにいるかという質問はしても、コンジュの気持ちには全くの無関心。
ただ、この映画ではそんなコンジュを、いわゆる「かわいそうな女の子」として描いているわけではない。
この映画は、コンジュの様子をただ映しているだけ。
「かわいそう」とか「がんばれ」とか、周りの大人や加害者を「ひどい」とか、そういう主観的な要素をほぼ排除しているように思います。
だから、観ている方としてもコンジュに感情移入するでもなく、息苦しくなりながら見ているだけで、(加害者達には、腸が煮えくり返るほど憎たらしくてむかつきましたが)周りの大人たちのことも、苛立ちと諦めが混ざったような気持ちで眺めているだけでした。
最後、冒頭のセリフと呼応するようなセリフがあり、そこからコンジュがやっと心の内を言葉にします。
そしてラスト。
見る人に委ねるような終わり方ですが、コンジュはきっと生まれ変わったのだと信じたいです。
見ていて目を背けたくなる、非常にきついシーンがあるので、(特に女性は)興味本位で見るのはおすすめしません。
この事件自体が、実話をモチーフにしているということが、本当にショックでした。
ただ、この映画が伝えたかったことは、ショッキングな事件そのものではなく、周囲の人間の有り様だったのではないかと思います。
ここまで衝撃的な事件ではないにしても、いろんな場面で、私も含めておそらく多くの人は、コンジュの周囲の人間と同じような言動を無意識にしているのではないか?
というより、社会全体がそういう風潮になっているのだと。
(韓国だけでなく、日本でも同じだと私は思います)
苦しんでいる人、困っている人を見かけても、自分から積極的に関わることはせず、なるべく目をそむけたい、という気持ち。
その人の苦しみを理解するより、自分がそれに関わらないことの方を優先する風潮。
それを、衝撃的な事件をテーマにすることによって、より際立たせているのではないか、と感じました。
そして、映画自体はそれに対してなんの主観も持っていない。
ただ映し出しているだけ。
それを観てどう思うか?
どう感じるか?
これからどう行動しようと思うか?
そこを観る人に考えさせようとしたのではないかと思うのです。
だから、あとは観る人の考え方次第ということ・・・
ところで、主役のハンゴンジュを演じたチョン・ウヒさん、1987年生まれということですから、20代半ばで高校生を演じたんですね。
青龍映画賞で主演女優賞を受賞した時の泣きながらのスピーチも見ていてジーンとしました。
これからの活躍が楽しみな女優さんです。